Mothership

母の突然の死。
午前1時半。イスラエル。電話の知らせ。


まさか?なんで?


「母が亡くなった」
兄がこんなことを冗談で言うわけがない。
それが紛れもない事実であることは、頭が理解した。
しかし、感情がそれを「事実」として理解することがなかなかできない。


まさか?なんで?
の繰り返し。


とにかく早く帰らなければ。
ここは日本に帰るには世界で最も遠い都市の一つだ。


まずは帰国便の手配をしなければ。
思いの外冷静にアクションがとれる。
感情がまだ母の死を事実として認定していないからだ。


こんなとき時差があることは便利だ。
日本の旅行代理店はもう営業を始めている。
朝5時半の便に席が取れた。
直ちに空港に向かわなければいけない。


同じホテルに泊まる同僚に早期に帰国する旨を伝えなければ。
「母が亡くなった」・・・
この瞬間、感情がバランスを崩した。


他者に「事実」を伝えるプロセスの中で、
「母の死」が、感情の思惑を超えて強制的に事実認定された。
そのことに「感情」が耐えきれなかったらしい。


帰国便。
レッドツェッペリンのCDが視聴リストにある。
タイトルは「Mothership」


何曲目かに「天国への階段」が流れた。
そのメロディに、また感情がバランスを崩した。


実家に戻った。
確かに、母は、天国への階段を上った。
いつものように早足で駆け抜けた。
母は最期まで母らしく、逝った。